オルタナティブ・ストーリー

人生は多方面に渡る経験の集合体

1945年、8月15日の正午、昭和天皇がラジオを通じ、国民に対して、戦争に負けたことを告げました。台湾でも戦争による傷跡は深く、私が病院で、80代以上の日本語教育を受けた患者さんとお話するときは、そのお話も含めてしっかり聞かせてもらおう、と心の準備をしています。

本協会顧問である韓良誠院長は、戦争でご家族を失い、著書『韓石泉回想録: 医師のみた台湾近現代史』のなかで、とても示唆深いお言葉を記されています。

.人生は多方面にわたる経験の集合体だ。このことになんとか気付く人もいれば、一生気付かない人もいる。

.国を愛する人々よ、古いしきたりに自らを閉じ込めて、頑なな国粋を貫くのをやめ、守るべきものについてはそれを守り大いに発展させよう。残してはいけないものについてはそれを捨ておいて、社会の発展の足跡としよう。そして先祖の輝かしい成果を誇るよりも、先人の及ばなかったことを補っていくのである。世界に知識を求め、かすかなものの中に真理を追求し、社会の進歩と文化の広がりをその目で見、全ての英知を尽くして、人類の幸福を追求するのである

院長先生のお言葉と併記することは恐縮ですが、患者さんの言葉に耳を傾け、病いの経験を尊重し、自分の常識を疑い、時には自己否定をして調べ直し、新しいものを取り入れるなど、眼前の患者さんのためにベストを尽くすことが、いつか社会にもいい影響を与える、と信じて、私も微力ながらお手伝いさせてもらっています。

患者よ、がんと闘うな

『患者よ、がんと闘うな』などの著者として知られる近藤誠医師(73歳)が亡くなったことが、本日のニュースで伝えられていて、近藤医師とのご縁もまた、私の古い考え方を見直し、再構築するきっかけとなりました。

この書籍のタイトルから分かるように、医学会では様々な意見があるものの、患者さんの声をしっかりと聞くという大事さ、不必要な治療をなるべく無くす、といった考え方を与えてくれた先生だと、私は感じています。

近藤先生の講演を聞き、「先生が闘うなというのは、わかった。では、私のがん治療はどうしたらいいのだ?」と、先生に直接質問したがん患者さんの自助グループの営みに、私も参加させて頂きました。そのグループ活動で目にしたのは、「専門家-患者」「パターナリズム」などの障害に苦しみながらも、同じような痛みを持った「つながり」が、患者さんの「今」をより良く生きる糧になりうる、新しいセーフティ・ネットワークのあり方でした。彼らの優しさに触れることができたのが、本協会を設立する際の、私の大きな原動力になりました。

オルタナティブ・ストーリー

今回のコラムの題名につけた「オルタナティブ・ストーリー」とは、自らの経験や問題を言語化し、語ることで、客観的に認識し、自己を支配している「ドミナント・ストーリー」から切り離す”ナラティヴ・アプローチ”を指します。そのがん自助グループでは、集まりの際に、病いの経験を語りたい患者さんが語り、誰も遮らず、他の人たちが聞き届ける、ということが行われていました。

病いの体験というのはとても複雑で、いざ話そうとしても、思うように切り出せなかったり、話すこと自体に抵抗感がある人たちも少なくありません。臨床現場でも、医師である私に遠慮して、心理社会的なことなどを話さない患者さんもいらっしゃいます。

しかし、本当に苦しいのは疾患による痛みだけでなく、自分がいなくなった後に残される最愛の配偶者や幼い子供への心配だったり、会社の経営ができなくなることだったり、人によって様々なストーリーがあります。

患者さんが織りなすナラティブは、本来、多様性に溢れているもので、しかし、共感してくれる人がいないと思うために、そのようなストーリーが出される場があまりありません。一方で、同じような痛みを抱える人たちによって、語りが共有され、様々なナラティブと出会うことで、「ドミナント・ストーリー」から「オルタナティブ・ストーリー」へ変容していくところを、私もたくさん見てきました。「オルタナティブ・ストーリー」は、病いによって得た「気づき」として、受け継がれることもあります。

このナラティブ・アプローチは現在、臨床や心理学だけでなく、キャリアコンサルティング、司法の場など、さまざまな分野で取り入れられています。

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今月は、台湾でいう「鬼月」(2022年7月29日~8月26日)で、霊界の門である「鬼門」が開き、日本でいう幽霊が人間界に戻ってくる、といわれ、ご先祖様や無縁仏を供養するための儀式が台湾各地で行われています。

ご冥福をお祈りします。

合掌

*本コラムは個人の意見であり、協会とは一切関係ありません。

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