【月一コラム みんなの台南生活】(9)趣味を通じて嫌いな台湾を好きになる(前篇)

台南市日本人協会の会員より、毎月1回、台南生活コラムをお送りいたします。

目次

趣味を通じて嫌いな台湾を好きになる(前篇)
文/常定利

自分が19歳で台南へ来たばかりの時は、初めての海外生活やキャンパスライフにワクワクしていた。大学が始まる前、成功大学のCLC(中国語センター)に通って中国語を2ヶ月学び、「これで大丈夫じゃ、怖かねえ!」と思ったが、いざ大学が始まると、そうはいかなかった。

大学で最初の最初に受けた授業は、忘れもしない「程式設計(プログラミング)(一)」、C言語の授業(張教授、「授業分からん、助けてくれ」と言ったら「Google使いなよ」って言ったこと、未だに忘れてないからな、お前)。うちの学部は流行りのコンピュータ・サイエンスなので学部外の学生も多く、100人ほど入る教室の階段状通路の1段ずつに2人、それでも足りないので教室の後ろに立つ人や廊下から教室につながる数段の階段の部分で背伸びして授業を受ける学生もいた。

台湾人学生の意欲はすごいなあ、さすが成功大学だなあと思っていると授業開始。当然0の状態から始めて2ヶ月の中国語だけでは全く分からない。「所以」(~によって、すなわちの意味)が聞き取れる程度。この時点で「あ、こりゃ、おえん」と思った。一番キツかったのは、教授が冗談を言って全員が笑っている中、一人だけ何を言ってるのか分からず、ポカーン。授業後、部屋に戻って携帯を見ると、親から「元気? 台湾どう?(^^)」の通知。無理言って海外に行かせてもらっている以上、決して「キツい、帰りたい」とは言えない。だけど、大学初日でこの有様。絶望して部屋で顔をグチャグチャにしてボロ泣き。いかに自分が英語が出来るだけで他に何一つできない思い上がったハナタレかを思い知らされた。

その後、台湾人の同級生と仲良くしようとするも、合わない。というか、自分が合わせられなかった。コンピュータ・サイエンス学部という超オタッキーな学部なのでみんなRPG系のゲームを夜遅くまでやるが、自分は試したものの、全く面白さが理解できなかった。来たばかりの時は美味しいと思ってた台湾料理も「油っこい、ニンニク、八角」ばかりで飽きてしまい、同級生と食いに行けず、自室で一人、電気ケトルでパスタを作る生活に。そんなことが続いて、「こんなとこやこ、卒業したら2度と来りゃせん!」とすっかり台湾が嫌いになってしまった。その上、自分も中国語での会話も諦めて英語以外では会話しようとしない嫌なやつになってしまった。

しばらくして、台南では必須アイテムのスクーターを買おうとお世話になってた日本人の先輩に教えてもらい、免許を取り、「THE 足」というような何の変哲もない125ccスクーターを購入。最初は大人しく普通に乗っていたものの、イタリア人の親父の影響でレース大好き(F1はフェラーリ、MotoGPはバレンティーノ・ロッシの大ファン)なので、次第に”強め”に乗るようになった。そんなこんなで1年が経ち、強めに乗るとコーナーでマフラーやセンタースタンドを擦ったり、ブレーキが熱ダレして止まらなくなったりして、便利だけど不満を感じるようになり、KYMCO製の150ccのマニュアル車を増車。

新しく買ったバイクは重いくせに、エンジンはホンダの技術提供時代の古いもので、非力で乗りづらかった。しかし、“強め”に走っても前と違って自分が機械を超えることがなく、乗りづらいけど学びがあるので楽しく、ほぼ毎晩家から安平までの約40kmの往路を“強め”に走り込むようになり、すっかり趣味がバイクになってしまった。

だが、独学なので、ある時から自分の進歩が止まってしまった。そして当時通ってたバイク屋(知識が少しある今になって思うとかなりひどい店)に「金はちゃんと払うから〇〇を直してくれ」と言って預けて翌週取りに行くと「XX直しといたよ。金はいらないよ」と何も壊れてない部品を勝手に変えられ、壊れた部品は直ってないことが続き、バイクも”強め”に走るには不安になってきた。自分でやりたくても知識、道具がないので無理。

そんなとき、ひょんなことから台湾人だけどアイルランドのロードレースに参加している変な阿伯(台湾語でおじさんの意味)を知り合いから紹介してもらい、バイクを見てもうことに。見てもらうと、自分が「こんなもんなのかな」と思ってた部品が壊れてて、“強く”走るならば整備不良である事が分り、「話つけといたから週末にここに行け」と完全に趣味でメカニックやってる人の連絡先と場所を教えてもらった。日本の実家が代々小さな鐵工所をやっている関係で自分は小さな頃から機械いじりが大好きだったし、職人だった祖父から「おめえ、勉強するにゃええけど、ちゃんと経験もせにゃ、将来やっちもないもん作ってしもうておえりゃせんで」と言われてたので、分からない部分を見れる、学べる、とワクワクしてた。

翌週末、指定されたガレージに行くと、「メカニックさん」と「豬王(豚キング)」、「臭哥(ゲキクサニキ)」など愉快な名前のお友達が。

メカニックさん「你叫什麼?(名前は?)」
自分「淺拖仔(台湾語でスリッパの意味)」
臭哥「哈? 為什麼?(はぁ? なんでスリッパなんだよ)」
自分「因為我的日文名字Toshi聽起來“拖鞋”(日本名のトシが中国語のスリッパに聞こえるから)」
一同「靠北、笑死」
豬王「日本哪裡來?(日本のどこから来たんだよ)」
自分「岡山、但沒有羊肉(岡山、だけど羊肉はないよ)」(台湾の高雄にも岡山という場所があり、羊肉が有名)
一同「幹你娘、笑死~」

とバカうけし、気に入ってもらった。(以降、台湾人へ自己紹介する時この組み合わせを使うようになった。)

いざバイクを整備することになり、自分もやらせてくれ、教えてくれ、と言うと、みんな喜び、まあ喋るわ喋るわ。他の友達がやってきて、例のくだらない挨拶をすると、またもやバカうけ。みんな気に入ってくれて、飲み物を買ってきてくれたり、バイクの整備を一緒にしてくれる。メカニックさんにお礼に手巻きタバコをあげると、俺のも巻いてくれ、とみんなこぞって欲しがる。あげるとまた飲み物を買って来てくれて、カフェインでクラクラ。

彼らも楽しいのか、自分のために最初は中国語だったのに、台湾語で説明し始め、無茶苦茶に。しかし何故か単語をいくつか聞き取れる。「アソビ」「アタリ」「クラッチ」「シアゲ」など。他の方もコラムに書いていたが、我々日本人がいた時の名残らしい。単語は分かっても結局どういう事か分からないので「聽不懂」(分からない)と言うと「歹勢、歹勢」(台湾語でごめんの意味)。そして、中国語に戻るけど、質問したり話したりしてるとまた台湾語、というようなループを繰り返してるうちに、バイクが出来上がった。

夜になっていつも通り安平へ走りに行くと、今までと違う。コーナー奥まで安心して体を投げ込む様にして突っ込めるし、路面状況が指でなぞっているかのように分かる。楽しい。

台湾も悪くないのかもしれない。

※【月一コラム みんなの台南生活】(10)「趣味を通じて嫌いな台湾を好きになる(後篇)」に続きます。

文/常定利(つねさだ とし)
1998年、岡山生まれ。大学受験に失敗し、知り合いの台湾人鍼灸医から台湾を薦められ、台湾へ島流し。中国語で「あれ、これ、ありがとう」しか言えない状態でフル中国語の成功大、情報工学科入学。足としてスクーターを買って以来バイクが趣味になり、一人でエンジンを組めるようになるまで重症化。まだバイクをいじったりチューンしたいと言う理由で成功大学、情報工学科の大学院へ進学。

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