【月一コラム みんなの台南生活】(23)台湾生活をふりかえって「特別な体験」

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【月一コラム みんなの台南生活】(23)台湾生活をふりかえって「特別な体験」
文/小幡達夫

2015年8月1日に日本の会社を辞めて、仕事で単身台湾に来ました。当時私は52歳でした。台湾人の元同僚が、設立した会社に誘ってくれたのがきっかけです。日本での会社と同種の液晶、半導体設備製造の会社です。私の仕事はそれら装置の機械設計です。

早いもので、8年半が経ちました。これまでをふりかえって、在住している日本人の方々があまり経験しないであろう体験を4つ紹介します。

1.はじめての居留証

台湾に来たら女性になりました‼

初めての居留証の性別が女性と記載されていたのです。移民署の誤りでした。私はすぐに訂正しようと思ったのですが、老闆(元同僚)から「これは非常に特別なことだ。これは悪いことではなく、むしろ良いことだ。居留証を再度訂正しない方がいい」と言われました。その上、彼はこれから何が起こるか楽しみだとも言っていました。私は訂正をとどまることにしました。

彼の言った通り、私はすぐに顧客、仕事関係、日式スナック等で有名になりました。彼らは私のことを「シスター」と呼び、以前の私は男性で、今は女性であると信じていました。

翌年居留証を更新したとき、私は再び男性に戻りました。 この一年で私はとても有名になり、いろんな面で楽しい体験をすることができました。

皆さんごめんなさい‼ 私は騙すつもりも嘘をつくつもりもありませんでした。私を女性にしたのは台湾政府なんですから。

2015/08/07
2016/12/07

2.映画出演

2020年2月の勤務日、新竹支店の同僚から突然電話がありました。彼女は、営業部門で顧客からの問い合わせや会議の手配を担当しています。彼女はすぐに写真を送ってほしいと私に言いました。 私は、写真を撮って彼女へ送りました。

数日後、彼女からまた電話がありました。実は彼女は私に何も言わずに短編映画に応募しており、私が選ばれたと言いました。彼女の説明によると、新型コロナの流行により、映画製作者が予定していた日本人の男性俳優が台湾に来られなくなったため、急遽台湾で代わりの俳優を募集していたとのことでした。条件は、見た目52歳~62歳、日本人男性、セリフはすべて日本語、俳優経験は不要。主人公は華道の師範。絶対貴重な経験になるので参加することを強く勧められました。全く自信がなかったのですが、最終的には出演を決意しました。

撮影に参加するために7日間休暇を取りました。台本は撮影の数日前に送られてきていたので、すべて覚えて撮影にのぞみました。ですが、監督の指示通りの動きができず、何度も撮り直すことになりました。動作に集中しすぎてセリフを忘れたり、セリフに集中しすぎて動作を忘れたりを何度も繰り返しました。毎日スタッフと一緒に生活するうちに、徐々に緊張感も無くなり、なんとか予定通り撮影を終えることができました。

俳優は、とても難しい仕事だと思いました。自分が俳優という職業に向いていないことを思い知らされました。この映画は高雄市立美術館で上映されました。

3.大型自動二輪免許証

私は日本で普通車と中型自動二輪の免許証を取得していました。台湾で免許証を更新しに行った時にびっくりしました。車とバイクで別々の免許証を受け取ったからです。もっとびっくりしていたのは、免許証センターの係りの女性の方でした。私の居留証と新しい台湾の免許証を見比べるなり、同僚たちまで呼んで少しの間騒ぎになりました。

取得後一年経つと台湾の大型自動二輪を取得できると知り、一年後、台南市内にある成功駕訓班へ通いました。といっても、通ったのは4回だけです(教習期間中の練習回数は自由)。費用は4000元でした。教官の指導は、すべて台湾語でした。言葉はまったくわかりませんでしたが、コース、実技項目が、日本に比べてとにかく簡単だったのでの問題ありませでした。卒業試験のとき、試験受講生50人、全員合格でした。

大型自動二輪免許証を取得してから、すぐにバイク(Kawasaki)を購入しました。(値段は日本の2~3倍)。連休には、台湾各地へツーリングに出かけました。自損事故を起こして手術入院もしました。その後も乗ってはいましたが、台湾では維持ができないと思い、手放しました。

私の場合、中型自動二輪の免許証がすでにあるので実技試験だけでした。2021年からは筆記試験も必要となったようです。

4.趣味

趣味ができました‼

毎年旧正月の期間、友人や同僚たちは故郷へ帰ってしまいます。お誘いはありませんでした。そのため、毎年この期間、私は一人なので台湾を旅行することにしました。台湾には有名な所がたくさんありますが、交通の便がよくありません。そこでバイクを買って一周することにしました。それ以来、友人たちからは、私がバイクで一人旅を楽しんでいると誤解されました。毎年旧正月になると、私は一人でバイクに乗って台湾を一周するようになりました。年々好きになっていきました。最近では、観光だけでは物足りず、キャンプをしながらす一周するようになりました。今ではバイクに乗ってキャンプに行くのが趣味になっています。

2016/2/7~2/13 第1次環島
2018/2/17~2/22 第2次環島
2022/1/30~2/5 第3次環島

最後に

当然のことですが、台湾に来た当初は台湾人の生活習慣、考え方が日本人とは全く異なるため、疑問と戸惑いの連続でした。しかし、徐々に慣れていき、今では諦めの意味ではなく「何が起きてもおかしくはない!」と思うようになりました。紹介しました体験は、台湾に来られたからこそできたのです。台湾に来て本当に良かったです。台湾へよんでくれた元同僚に感謝しています。今後もどんな特別な体験ができるのか楽しみです。

文/小幡達夫(おばた たつお)
生まれも育ちも東京・日暮里。大学院修了後は航空自衛隊機(F-2、T-3改など)の設計開発、一般産業機械、液晶基板/半導体製造設備などの機械設計に通算で32年間従事。液晶基板・半導体製造設備製造の会社を経営する台湾人の元同僚に誘われて2015年8月に台南へ来た。気力の限界を感じて昨年2023年6月、しばらく休養を取るために退職。成功大学華語中心で半年間、中国語を勉強。4月から台湾での仕事を探している。

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