【月一コラム みんなの台南生活】(18)三年

台南市日本人協会の会員より、毎月1回、台南生活コラムをお送りいたします。

目次

三年
文/山元聡

2020年2月、私は地元京都でのワンマンコンサートを終えてすぐ、観光目的で台南を訪れました。3年前に台南へ来てからこれまでに私が台湾で経験したことの一部を今回シェアさせていただきます。

コロナ

来台後すぐ、世界中で拡がり始めた未曾有の新型ウイルス。これにより3ヶ月だけ滞在する予定が一転、日本へ帰れなくなってしまいました。勿論このようなことが起こるなど、全くもって想像していませんでした。そして3ヶ月の観光ビザの有効期限後は、台湾政府が新たに発表した“外国人滞在者”への有効期間延期処置により、結果的に丸2年半もの間、台南に滞在することとなったのです。でも、これが私の人生の転機となりました。

生活

2020年の春以降は中国を皮切りに、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本と、世界中でコロナが蔓延し始めていましたが、台湾に関しては常に先手を打っていたため、日本や、アメリカほど大きく生活が一変するようなことはなかったように思います。ただし、その間、観光ビザであるが故に仕事ができず、これからどのようにここ台南で生活してゆけばよいものか途方に暮れていた時期でもありました。

拠点

その頃、日本では猛烈な勢いでコロナが拡がり、実際に“音楽”などできるような状況ではありませんでした。日本の音楽仲間、先輩後輩達も、長年続けてきた音楽を手放すしかない、そんな世界へ変わり果ててしまっているのを、遠く離れたここ台湾から傍観していることに、とても罪悪感を覚えていました。

「でも、今帰ったとて何もできやしない。」

それがハッキリと分かっているが故に、ただこちらから日本の状況を見ているしかありませんでした。そんな中で、以前台南へ来た際にお世話になっていた台南人のお宅へ住まわせていただけることになり、しばらくの間、その家での生活が始まりました。その家族の方々のサポートがあったお陰で今の私があると心から感謝しています。

いよいよ台湾でも

いつ訪れるか分からない“帰国”の二文字を胸に、自身のYouTubeチャンネルなどで台南での生活や、音楽系の動画をアップして収益を得たり、拙い中国語を使い、時には朝から晩までストリートライブなどを行ったりして、なんとか生活していました。

ちなみに、これまでに一度も中国語を習った経験がないため、現在まで参考書やYouTubeなどを見ながら全て独学で勉強してきました。

そんな中、とうとう台湾でも感染爆発が起こり、一瞬にしてソーシャルディスタンスの世界へと変わり果ててしまいました。それからは主な収入などは全てYouTube収益のみとなりましたが、完全にインドアの生活に切り替えなくてはいけなくなったために、心身共にかなり落ちこんでいたのを覚えています。

突破口

感染爆発後は、様々な葛藤がありました。

「自分は何故ここにいるのだろう。」
「これからどうしたいのだろう。」

後ろ向きに考えないようにする方法が見出せず、時間だけが過ぎ、5ヶ月間のうちにストレスで10キロ近く体重が落ちました。台南での生活で太り始めていたのでちょうど良かったかもしれません。(笑)

そんな中で一縷の光が。

音楽番組への出演

このままではいけないと思い、何かにすがるようにして、台湾での貯蓄をほぼ全て注ぎ込み、台北の長期滞在用ホテルへと移り住みました。その頃の台北は台南よりも感染者が多く、まだまだ外食もできるような状態じゃありませんでした。

でも、このまま台南にいては、誰とも繋がりを持つことができないと感じ、生活上の制限は多々ありましたが、台北でチャンスを掴むためにはどうすれば良いか、自分なりに考えながらチャンスを窺っていました。

そして、ようやく大きなチャンスが舞い込みました。私のYouTube動画のコメント欄に一人の視聴者が「台灣那麼旺」という音楽番組への出演を勧めてくれたのです。その番組は台湾の音楽番組でもトップの視聴率を誇り、出演するにはいくつかの審査が必要でしたが、幸いなことに全ての審査に通り、番組出演の切符を手にしました。

好転

3ヶ月間という出演期間もあり、そして何よりその番組史上初の日本人出演者ということも後押しして、番組出演後は大きな話題となりました。

ただし、もちろん音楽番組ですから、歌はもちろん、番組内でのトークも全て中国語。ですが、困ったことに、その時は私の中国語レベルは恐らく小学生以下。なので、2週間に一度収録が行われる間の時間は、ほぼ全て中国語と台湾語。そして、聴いたこともない曲の丸暗記の日々が始まりました。

食事の時と寝る時以外は全ての時間を勉強に費やしていたと思います。収録は基本的に前日リハーサルを含め2日間に渡って行われます。本番当日は早朝7時過ぎから現場入りし、メイク、直前リハーサルなどを済ませ、収録が終わるのがいつも夜23時頃。慣れない長時間収録に疲労困憊し、何度も気絶しそうになっていたのを覚えています。ですが、本番が始まると気持ちを切り替えなくてはいけません。自分が少しでも間違えると収録がストップしてしまうため、皆に迷惑がかかります。そんなプレッシャーの中で、いつも支えてくれたマネージャー兼通訳の嘉慶さん、出演者の皆さんには感謝しかありません。

そして、本番が始まり、司会者と審査員達がスタジオに入ってくると空気が一変します。張り詰めた緊張感に出演者たちも背筋が伸び、舞台慣れしていなくて緊張のせいでステージ上で硬直している方もいました。

私も何度もステージ上で頭が真っ白になりそうな時がありましたが、なんとか一度もミスをすることなく3ヶ月間の収録をこなすことができました。そして、結果的に多くの著名な審査員や歌手の皆さんに努力を認めていただき、番組卒業後もその反響が大きく、各所から出演オファーなどが来るようになりました。番組制作会社の申請してくれたビザなどもあって、スムーズに仕事を受けることができていたのも感謝しかありません。

現在

そして、今は番組出演を機に一気に認知度が上がったおかげで、様々な方々と関わりを持つことができ、素晴らしい音楽家の皆さんとコラボなどを行いながら、作品を制作しています。日本を離れ、まさかここ台湾でこのような人生を再スタートさせることになるとは思っていませんでした。

三年

日本にはこんなことわざがあります。

“石の上にも三年”

この言葉通り、三年という日々を我慢して、我慢して過ごしてきたように思います。私は台湾へ移り住み、自分でも知らなかった自分を知り、喜怒哀楽し、時には大きく落ち込み、時には大きく駆け上がり、そして今では大きく交友関係を拡げることができました。これも私に関わってくださった方々のおかげです。

三年という時間は、自分という人間を見極める上で一つの節目となる。そう感じています。

ユーチューブ動画

最後に、私のYouTube動画をいくつか紹介しますので、ご覧になってみてください。

「スラムダンク♡LOVEな台湾の夜市で主題歌を熱唱したら…」
https://www.youtube.com/watch?v=FydiszHx43I

「【有妳的台南】君のいる街」
https://www.youtube.com/watch?v=De82cW-zBeM

文/山元聡(やまもと さとし)
台南在住3年。地元京都と台南で活動する音楽家。歌手として活動すると同時に作曲家として楽曲提供なども行なっている。台南をテーマにした楽曲「有妳的台南─君のいる街」は台南市長を始め、その他多くの台湾メディアにシェアされた。目標は年越しライブ出演。

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