【月一コラム みんなの台南生活】(10)趣味を通じて嫌いな台湾を好きになる(後篇)

台南市日本人協会の会員より、毎月1回、台南生活コラムをお送りいたします。

目次

【月一コラム みんなの台南生活】(10)趣味を通じて嫌いな台湾を好きになる(後篇)
文/常定 利

※【月一コラム みんなの台南生活】(9)「趣味を通じて嫌いな台湾を好きになる(前篇)」の続きです。

いつものように週末にガレージに行くと、メカニックさんの友達のものでいつもガレージの奥の幌の下に置いてある赤のNSR150が珍しく外に出してあった。当時のWGP500でロッシも乗ったNSR500のレース技術を市販車にそのまま落とし込んだ非常にバブリーなバイクだ。150ccであるにもかかわらず、現行の400ccよりも速く、ピーキーなじゃじゃ馬。今でも人気は根強く、動くかも怪しい中古だが、当時の新車価格より高く、かつ球数が少ないのでなかなか目にすることは無い(自分は街中で見かけたら願い事をする)。

そんな彼らの青春時代のNSR。当時、夜中に高雄まで走りに行ったら警察に追いかけられて撒いたり、峠でエンジンが焼き付いて交代で紐で引っ張って帰ったり、ニケツしてイチャイチャしてるカップルをスレスレで追い抜いたりと彼らの青春が詰まった、ナンバープレートだけでウィンカーもライトもついてない走り屋/レーサー仕様のNSR。

メカニックさん「我的朋友沒有時間騎“他”,他覺得很可憐放在裡面,讓別人騎對“他”好(友達はコイツに乗る時間がないから寂しくここに置いとくより誰かに乗ってもらった方がコイツのためになると思って売りたいらしい。)」

彼らも阿伯になり、家族ができたりしてバカができなくなった。思い出だから手放したくない。かといって、ずっと埃を被らせておく訳にもいかない。だけど、売り払ってじゃじゃ馬を扱えないどこぞの知らん奴が乗って壊されたくもない。

メカニックさん「我把你介紹給他。因為你會騎,也會保養。他想賣給你。(友達にお前のことを紹介したんだ。お前なら“乗れる”し、整備もできるからな。それを聞いて彼はお前に売りたいらしい。)」

大変名誉なオファーを頂いた。しかし、今も人気のNSRは中古マーケットになかなか出てこない。ボロでも10万元から。まともに乗れるものなんて15万元したっておかしくない。

自分「多少錢?(幾ら?)」
メカニックさん「2萬塊(2万元)」
自分「我快去ATM拿錢。要是不夠錢,我快去大陸賣掉腎臟賺錢(今すぐATM行ってくる!足りなかったら中国行って腎臓売ってでも金を用意する)」

ATMに駆け込んで2万元を無事引き出し、お金を渡した。

しかし、当時の「赤信号なんか120km/hでぶち抜きゃ良いんだよ!」のままで、保安部品は無く、公道は走れない。そして台湾の法律では、工場出荷時と外観が全く同じでないと監理站でNGが出て譲渡できない(ウィンカーが違うだけでアウトだが、外見だけなので原付のバイクに大型車のエンジンを積んでも外見が同じなら問題ないという変な法律。職員の判断なので昼休憩、終業前だと機嫌が悪く、難易度UP。ニコニコしてゴマすればいけるかも、というとても台湾らしいシステム)。約30年前の彼らのことだ、保安部品なんて「不好看(ブサイク)」なので捨てて残ってない。困った。

メカニックさん「不要緊啦,去阿俊那邊就好(心配すんな アジュンのとこに行けば大丈夫だ)」

彼らが小屁孩(クソガキ)の頃に会った人が同じく趣味でガレージをやっていてNSR専門家として界隈では有名らしく、NSRの所有者変更手続きや修理、レストアを頼みにくるお客さんが多く、そして彼が住む麻豆の監理站は“優しい”らしい。現在は車両登録・確認にフレーム・ナンバーとエンジン・ナンバー両方が必須だが、昔はエンジン・ナンバーのみということを利用し、外装が完璧な車体に(以下グレーでゴニョゴニョなので割愛)という抜け道で助けてくれるらしい。部品も幾つか分けてくれるとのこと。

阿俊の手が空いてる日にNSRのエンジンを持ってガレージへお邪魔した。ガレージにはNSRをはじめとする様々なバイク、パーツが所狭しと置いてあった。台湾に輸出してないNSR250RのMC21型(ヲタクなので部品の形を見れば型式・年式が分かる)もあり、聞くとヤフオクでちまちま部品を買って組み上げたらしく、その辺をこのナンバーのないMC21とたまに“散歩”するらしい。やるな、おっさん。ここだけ時代が30年前から動いてないように感じた。例のくだらんスリッパと羊肉の自己紹介で掴んで、色々と部品やバイク、自分のNSRをメンテする上で気になる部分を見せてもらったり、聞かせてもらったりした。そしていざ部品交渉だ。

自分「我想買那個RS尾殼(あのRSのテールカウルが欲しいんだけど)」
阿俊「那個 4000塊(ありゃ4000元だ)」
自分「那個泰國版外殼呢?(あのタイ仕様のカウルは?)」
阿俊「6000塊(6000元)」

うーん、リプロ品ではなく当時物なので適正価格だが、学生の自分には高い。だけど欲しい。仕方ない奥の手を使うか。

自分「阿俊,你抽過“The Peace”嗎?(アジュン、ザ・ピースは吸ったことあるか?)」
愛煙しているメビウスを咥えた阿俊がハッとして振り返る。
阿俊「The… Peace…?(ザ・ピースだと?)」

シメた。いい反応だ。カバンから勿体ぶって外箱が缶でできたJT商品で一番高級なタバコ、ザ・ピースを取り出す。

自分「要嗎?(いる?)」
阿俊「喔喔喔喔 抽吧!抽吧!(おおおおおお 吸おう!吸おう!)」

咥えてたメビウスを投げ捨ててやってきた。一本取り出して火を点けてやる。

自分「好抽吧 在煙裡看到富士山吧(いいだろ 煙の中に富士山が見えるだろ?)」
阿俊「看得到 櫻花也看得到 哈哈哈(見える見える サクラも見える ガハハ)」

一箱そのままやると言うと、とても喜び、ピースをプカプカしながら倉庫を漁り始め、両手いっぱいに部品を抱えて戻ってきた。さっき聞いたら売れないって言ってた部品も持ってるじゃん。

阿俊「買這個外殼,送給你3個尾殼! 算了也給你油箱蓋(このカウル買うとテールカウル3つタダでやる! ええい タンクカバーもやる!)」
阿俊「這個FZR的輪框,前叉,三角台,前擋泥板,全部1500給你(FZRの足周り一式1500でやる!)」
阿俊「FZR的17吋輪框? 不用錢給你(FZR用の17インチはいらんか? タダでやる!)」

大成功だ。予算以内で元々欲しかった部品に加えてNSRの景色がゴッホの絵のように歪むパワーに対して到底足りない貧弱な足回りをヤマハのFZR150に変えて強化するマニアックな改造に必要な一式やその他細々とした部品を破格で買えた。ヤニ交渉を一通り見て感心しているメカニックさんの運転する車の中で後ろのトランクいっぱいの部品をたまに振り返っては一人気持ち悪くニヤニヤしながら帰路に着いた。

財布の厚さも大事だが、ちょっとしたお土産が自分の態度や気持ちを示すことができることを体感した。

エンジンをバラし、組み上げを任せられるまで進歩し、触ってると設計したエンジニアの理に適った設計や車種特有の持病や「こりゃ 設計間違えたな」といった部分までぼんやり見えるようになり、職人の祖父が「経験を積め」と幼い頃から言ってた理由も分かってきた。

大学も気づいたら半年遅れだが卒業(馬鹿なんだから仕方ないだろ)することになった。お世話になった陳先生に挨拶に行くと「以前言ってたように日本に帰るのか?」と聞かれた。先生の世話になり始めた頃は台湾が大嫌いで「卒業したらすぐ日本帰ります」と言ってたが、今では大好きになったのでむしろ残りたいと思うようになった。しかし、好きな時に好きなだけバイクを弄りたいので就職して時間は縛られたくない。

「まだ台湾に残ってバイクをいじりたいので大学院に行きたいです」
と言うと、不純な理由にも関わらず笑いながら
「今就職するとウチの学部生は給料4万元だが、ウチの研究室を出ると8万元からだぞ」

2年で倍? 院を出ても新卒の給料に2万円しか上乗せされない日本と大違いだ。その場で先生に推薦状をお願いし、帰って願書を書き、野崎さん(台南市日本人協会理事長)にも推薦状を書いてもらい、大学に書類を提出して結果を待った。大丈夫だと思ってたが、合格結果を見るまでは落ち着かなかった。そしてありがたいことに台湾の大手IC企業から奨学金のオファー、有給夏季インターンと共に卒業後の採用保証を頂けた(大学の成績ボロカスな学生によく金やって採用しようと思ったな、潰れるぞ)。

9月から院が始まったが、授業では陳先生からIC設計を学び、研究は彼の研究室で機械学習やAIをやらせてもらえる。ハード、ソフト両方できる状態で卒業できるのだ。良くできてる。メカニックさんのもとで心置きなく手が真っ黒になるまでバイクを弄れる。

今度こそ「怖かねえ、かかってけえ」と自信を持って言える。

文/常定 利(つねさだ とし)
1998年、岡山生まれ。成功大を卒業後、まだバイクをいじったりチューンしたいと言う理由で成功大学情報工学科の大学院へ進学。最近、行きつけのバイク屋ヤフオクでNSR50を購入。親に知らせずに実家に送ったため怒られる。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次