台南生活〜コロナ禍の思い出(保育園編)〜

今日は週末なので、のんびり過ごしたいところですが、朝寝を卒業したはずの我が子が十時ごろ眠りについてしまい、後で自分の昼寝時間がなくなるのではないかと心配になりソワソワしています、どうも吉川です。

コロナ禍休校も一応ENDとなり、登園できることになりました。(心の声:やったー!)

油断はできないですが、我が子には登園してもらいました。毎日うちに居たので我が子もストレスなのか、いつも午前中からワアワアギャアギャア言い出すので登園させた方が我が子のためかなとも思っています。決して我が子に愛情がないとか、そういう問題ではなく、私自体そこまで若くないし、持病(大したことないので心配しないでください。)もあるのでワンオペ育児はちょっと難しいところなのです。なので生まれる前から台湾で子育てするならば、園に行かせるということは決めていました。

保育園問題。これは色々な親御さんがたがぶつかって来られる問題ですね。

私周辺の話では、早く入れて周りから非難されることもあったそうです。「子は母が育てるものじゃないの」と。

しかし、うちは0歳の時から保育園にぶちこ・・・入園させています。

「ちょっと早すぎるんじゃないの?」

「ママと離れて可哀想。」

「3歳までママ側にいないと愛情不足になるよ」

とか色々言われましたが、ママと離れてニコニコ我が子は保育園がお気に入りです。(最初は泣いてたけど)ってか、別にママだけが親ではないと思いますので安心してください。法的、生物的な親は何を隠そう私ですが、その子の周りがみんな親!!なのです。うん!そうだそうだ!

私自身、小さい頃は祖母や祖父がうちにいました。祖母は昭和1桁の女でしたので、「あんたは弱すぎるんじゃけ!」と兵庫弁?で謎のキャッチボールをさせられ、謎のスイミングにも通わされていました。そして、大正末期生まれの祖父には雑草の食べ方を学ばせていただきました。(食べられる雑草と食べられない雑草がありますので絶対に真似しないでください)「明日食うもんがなくなっちまうと困るからなぁ!」とのことです。ちなみに餅米は餅になる前が一番美味いと言っていました。

彼らもまた、「親」みたいなものだったのでしょう。

脱線してしまいましたが、園では色々絵本や音楽の授業、工作などもさせてくれるようです。そして自由時間は他の園児の頭をなでなでし、なでなでされ、遊具から引き摺り下ろされ、下ろし、いろんなおもちゃの奪い合いです。こんな経験は、うちでは出来ないでしょう。頑張れ我が子。負けるな我が子。いや、たまに負けてやってくれ我が子。(と言ってもうちの子は比較的体が小さいのでいつも勝てない。)

そしてこの間は先生を独り占めしようとし、泣き喚いていたらしいです。お気に入りの先生がいるようで、他の子を抱っこすると嫉妬に狂うみたいです。「先生に迷惑かけないようにね」と我が子に言いつつ、お気に入りを独り占めしたいという感覚が芽生えてきたのだなと、これも吉川家代々の血筋を感じます。(母も小さい頃はそんな感じだったので。)たまたま先生から送られてきた写真には、謎に先生の足にしがみつく我が子の姿が・・・。歩きにくい。

夕方、保育園へ迎えに行くと、スーパーミラクルマジカルビックスマイルで母を迎えいでてくれます。保育園の出口はガラスで、外から見えるので、母が迎えにきた姿が向こうからも見えるようです。よちよちが突然こっちまで走ってくるので危なっかしい。こけるなよをい。

ということで、0歳で登園させても問題ないことがわかりましたので、休校明けはさっさと登園させました。

コロナのことも心配ですが、保育園に入れるとコロナ以外にも色々な病気をもらってきますので、気をつけなければなりません。この前は手足口病にかかって大変でした。とほほ。

さて、これからどうなるのでしょうか・・・。

コロナ禍子育て、まだまだ続きそうです。

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