台南市日本人協会の会員より、毎月1回、台南生活コラムをお送りいたします。
第三の故郷
文/南郷成民
あのオーソン・ウェルズの名作映画「第三の男」をもじったのではない。私の故郷は、第一に私を60年以上育んでくれ、父母が眠る盛岡市。次いで、祖父母以前のご先祖様が全て眠る台北を第二の故郷と呼ばねばこれは申し訳ない。そして、誠に贅沢なことに、三つ目の故郷が出来たのだ。そう、台南市。
昨年(2021年)9月から成功大学で中国語を学ぶようになって繰り返し訊かれた質問、「何故、親戚がみんな住んでいる台北ではなく、わざわざ台南で学ぶことにしたの?」
その鍵は台湾語(ホーロー語)である。少しでも多く台湾語に触れ、少しでも多くの台湾語を憶えて帰りたい。そのためには、日常的に台湾語を話す人の多い南部で暮らすに限る。では、なぜ台南? それは、私の最も尊敬する台湾語研究の泰斗、王育徳先生の故郷であるから。なぜ成功大学? それは、昭和天皇が皇太子時代にお手植えされたガジュマルの木が大切に守られ、見事な緑陰を為す大樹となっているから。
台北生まれの両親は、1940年、家業の米穀商のいわば東京支店開設のため東京に移住、私達5人の兄弟姉妹は皆日本で生まれ育った。両親は二人で話すときには常に台湾語だったが、私達のことは完全に日本語だけで育てた。それは両親の見識だったのだと感謝してはいる。しかし、昭和28年に父が日本で初めて商品化した「味付メンマ」のメーカーとして、20代半ばから毎年原料買付のために台湾を訪れるようになって、台湾語も中国語(華語)も話せないことにもどかしさを感じ、何とかして台湾で台湾語・華語を学びたいと願い続けて40年。息子たちに会社の経営を任せて、やっと実現した1年間の私の留学なのであった。
現在、私は岩手県在住の台湾出身者の会「岩手県台湾同郷会」の会長を仰せつかり、郷土の先人、新渡戸稲造博士の「願はくは われ太平洋の橋とならん」の大志に倣い、日台の懸け橋にならんとの思いで活動を続けている。会社経営を委ねた長男・次男には入社後すぐ台湾に留学させて華語をマスターさせたので、私の華語学習の目的は商売のためではなく、専ら日台友好促進のためへと変わった。
成功大学華語センターでの授業が始まってみると、老師が皆極めて優秀で熱心。その授業の濃密さに感動し、功課(宿題)の多さに圧倒され、毎日家で5~6時間勉強するくらいではとてもとても間に合わない。そのハードさにこの老いた脳みそがついて行けるかと怖れ、しかし、生まれて初めて勉強することがこんなにも胸躍るものであることを知った。そして、この喜びを故郷盛岡、岩手の若者たちにも味わってもらおう、との新たな目標が出来た。
まだまだ私の中国語の進歩は不十分ではあるが、この8月末で学業を終え、9月上旬に帰国して「実践」を始めることとなる。日台の懸け橋として多くの若者を台湾に、出来れば台南に送り出すべく、今後の私の台湾における活動拠点はなんてったって台南だ。第三の故郷台南。そして、そのホームグラウンドは台南市日本人協会。これまでお世話頂いたことに深謝し、生涯、誇りある台南市日本人協会会員として活動することをここにお誓いするものである。
紙数が尽き、環島ツーリングについては別の機会に譲ることを許されたい。
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