【月一コラム みんなの台南生活】(3)台湾でのこれまでのくらし

台南市日本人協会の会員より、毎月1回、台南生活コラムをお送りいたします。

目次

台湾でのこれまでのくらし
文/松崎昇

台湾へ

2013年9月、私の勤める会社(㈱ダイクレ)が台湾に工場を建設し、作業者の教育を行うために初めて台湾へ来ました。今でも印象深いのはコンビニに入った時の匂いでした。自動ドアが開くと電鍋で煮込まれた茶葉蛋の匂いが広がってきます。現在では慣れて気になることはないですが、当時はかなりの衝撃を受けたことを覚えています。

基本的に私は日本でも好き嫌いが多く、この先、仕事ではなく食事面で悩ませられることになります。

食事について

当初、工場は建設中であり、業者の方と共にお弁当を頼むことになります。言葉も通じるわけがなく、頼んだものとは違うものが来ることもしばしばあり、憂鬱でした。毎日の悩みは「弁当、頼んだやつ来るかな」でした。

後に業者の方も「トンカツ」とか覚えて頂いて感謝したことを思い出しました。

休日

8年前は台南の地理というか、路を覚えることに必死でした。休みの日には地図を買い、街中を歩きまわっていました。来台したばかりの時はスマホのシムロックなどの問題もあり、WIFIでしか通信できない状況でした。今では考えられませんが、通信が出来ない中で苦労したことも良い思い出となりました。

ちなみに、私は一人で散歩中に道に迷い、警察官に助けて頂いたことを今でもとても感謝しています。

最後に

台湾で会う日本人の方の多くは中文を話されるので尊敬せずにはいられませんが、私はほとんど喋れないまま生活してきております。台湾の方々は相手の言葉がよく聞き取れないとき、「は?」という大きな声で聞き返されることがあり、心が折れそうというか、折れていました。台湾の方々には悪気はなく通常の会話なのですが、当初は驚くばかりでした。

そんな中でも生活してきて、台湾、台南はいいところだなぁと思うばかりで、この先も言語の上達の見込みは少ないかなと実感しております。現在では私の方から「は?」と言えるように成長させてもらった台湾に感謝し、工場発展に努力していきたいと思います。

文/松崎昇(まつざき のぼる)
1978年生まれで今年43歳になります。
広島県生まれ、中学、高校で野球に勤しみ、今の会社に拾っていただきました。
会社での野球では活躍できず。
仕事では十数年前ある製品の開発に関わることになりました。その後、台湾でも同様の製品を製作するため、教育を兼ねて来台したのがきっかけです。
出張で約5年、駐在で3年台湾でお世話になっております。

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