3月19日、台北を中心に17年も落語の活動をされている噺家(はなしか)の戴開成(開楽亭凡笑)氏をお招きし、「辺境の落語家の噺」というタイトルでご講演いただき、さらに「あくび指南」という落語も、見事な江戸弁と大陸北方の中国語を織り交ぜてご披露いただきました。
戴氏は台湾の国籍をお持ちですが、中国の天津に生まれ、東京と台北で少年時代を過ごされました。天津は芸能のるつぼと言える町で、戴氏も幼少の頃から相聲(中国の漫才)や評書といった伝統話術に親しまれてきました。赤ん坊の頃、誰かに抱かれながら茶館で相聲を聞いたご記憶もお持ちだそうです。
小学一年のとき、日本語もわからないまま東京へ移住し、さらに小四のときに台北へ引っ越し、台湾の漢字の書き方を厳しくたたき込まれたとか。また、天津で身につけた中国語を台湾で話すのは、ご本人のたとえによれば鹿児島で東京弁を話すようなもので、どうしても奇異の目で見られることに。また学校が性に合わず、足が進まなくなったとか。
2年間の兵役を終えた22歳から再び東京へ行き、風呂無しアパートで暮らすなか、ある日小学校時代の恩師に誘われて「教育を語らない会」という会合に参加し、そのとき招かれていた落語家の噺を聞いて、大笑いした。すると、小学生のころ落語を聞いてもちんぷんかんぷんだったのを憶えておられた恩師は、「落語が理解できるまで日本語が達者になったのか」と、いたく感激されたそうです。
その後、台湾人のご友人にYoutubeで日本の落語家の落語を見せながら、それを同時通訳して聞かせてみたところ、ご友人が笑い転げた。また友人同士のパーティなどで落語を披露してみると、こちらも受けがよく、それ以来、日本語と中国語で数十の題目を演じられるようになるまで独学で訓練を重ね、立派なホールからカフェ・民宿など、さまざまな場所で落語会を開いてこられました。
興味深いのは、古典的な題目だけではなく、 もともと笑い話ではない昔話を落語にアレンジしたものも、レパートリーのなかに少なからずお持ちだという点です。それらは緻密な時代考証と、日台の言語的・文化的差異への考慮を経て創作されています。さらに古典的な題目も、日本語の言葉遊びの部分など、台湾で伝える上でさまざまな創意工夫が必要とされてくるようです。
私大洞が感じていることですが、台湾の伝統的な風習のなかでは、落語とか夏祭りのような、みんなでどっと笑ったり、楽しく騒いだりするような娯楽が非常に少ないといえます。ハレとケの区別が日本ほど明確でない。そんな台湾で、戴氏のように幼少期から辺境の存在として生きてきた人が、「笑いの芸術」を広めていくということには、非常に大きな意義があると思われます(日本においてもハレの催しは旅芸人や役者など、辺境的な身分の人々によって支えられてきました)。
近い将来、台南の別の場所で、戴氏の落語会を企画したいとも考えております。今回ご参加できなかった皆様、ぜひ楽しみにお待ちください。
最後に、寄席をしつらえるためにテーブルをご用意くださった上、結束バンドで固定してくださったゴールデンチューリップホテルの方々、および赤い布をご提供くださった民宿・黎媽的家のオーナー黎瑞菊氏に、心よりお礼申し上げます。
(だいどうあつし) 作家、翻訳家、三線弾き。1984年東京生まれ。「人がより自然に、シンプルに、活き活きと暮らせる町」を求めて、2012年より台南在住。日本蕎麦屋「洞蕎麥」を5年間経営後、翻訳事務所「鶴恩翻譯社」を運営。日本語著書『台湾環島 南風のスケッチ』、中国語著書『遊步台南』、共著『旅する台湾 屏東』、翻訳小説『フォルモサに吹く風』『君の心に刻んだ名前』『台湾 和製マジョリカタイルの記憶』。
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