台南生活〜コロナ禍の思い出(出産編②)〜

つづき・・・

昼過ぎに子宮口の開きが遅い?という雰囲気になってまいりました。そして・・・それから2時間ぐらい経ったくらいでしょうか。産婦人科医の先生が静かに待機室に入ってこられました。そして、

「子宮口が開かないし、危ないから切りましょうか。その方が母子ともに安全だし。」

とのこと。手術宣告です。(なぜそうなったのかは理由がありますが、書くと長いので割愛します)

手術なんかしたことないわたしにとってすごくショックだったのですが、30時間もウンウンやってるので、この時もう大概のことはどうでもよくなっていました。実母に連絡すると「それはもう、まな板の上の鯉よ。しょうがないじゃん。」と神奈川弁で言われ、まな板の上の鯉の気持ちがわかりつつも、まな板の上に乗った時点で鯉はすでに意識なくない?と思いながら、今までの人生を振り返ってみると、わたしは鯉を食べたことがないことに気がつきました。

そうと決まったら早いもので、主人が呼ばれ、書類に名前を書かされ、何時間かの絶食後バーっと手術着に着替えさせられ、ババーっと手術台がきて、ハイよっとで寝かせられ、ガラガラガラガラガラガラ・・・・

ふと廊下を運ばれている時、麻酔科のお医者さんに「こわいよお・・・」というと、「ダイジョーブ!ダイジョーブ!」と皆さんで日本語で言ってくださいました。始終笑顔で励ましてくれるお医者さんと看護師さんたち。レッツゴー手術室。

いざ、手術室へIN。なぜかMISAのエブリシングがエンドレスで流れていました。手術中、(っていうかいつから手術が始まったかわからなかった正直・・・あ、そして全身麻酔じゃなかったので意識ははっきりあります。)

看1「日本語でママってなんて言うのかな~。」

看2「お母さんだよー。ですよね?(わたしに聞いてる)」

私「はあ、そうですね。」

医「母さんじゃないの?ほら、”お”つけるのは丁寧語だよね?」

看2「えー、聞いたことなーい」

さすがお医者様。よくご存知でいらっしゃる。そんなお茶の間会話に参加させていただきながら、手術開始から体感2秒ぐらいで生まれました。

「おかーさん!」

「オカーサン」

「おかーさん!」

麻酔科のお医者さんと看護師さん達からのお母さんコール。

私の30時間って一体・・・。と思いながら、感動??の我が子と対面。皮膚紫色?のまま謎にニヤニヤしていました(多分目の焦点とかまだ合わないからかな)。そして、しばらくするとどっかに連れて行かれました。そして私も麻酔回復室に連れて行かれ、色々チェックされ、異常がなかったので病室に戻っていきました。めでたしめでたし。

ちなみに友人が(日本で)帝王切開した時の手術室内の会話は「おみやげのお饅頭がすごく美味しかったから、君たちも早く食べたまえ。あれは10個しかないから早い者勝ちだゾ。」という偉い先生と研修医さん達の会話だったそうです。そして研修医の方が10人ぐらい並んでいたそうです。饅頭足りなくない?

つづく

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